幕末

ジョセフヒコとジョン万次郎

 

1851年(嘉永4年)

新聞で報じられた船員たち 
新聞で報じられた船員たち 

1段目の少年がジョセフヒコ、総勢17人(絵では1人重複)

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上陸したサンフランシスコの港
上陸したサンフランシスコの港

1850〜1851

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新聞で報じられた船員たち 
新聞で報じられた船員たち 

1段目の少年がジョセフヒコ、総勢17人(絵では1人重複)

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1851年(嘉永4)  ジョセフヒコとジョン万次郎


日本では幕末にあたる1851年2月、「栄力丸」の総勢17名の日本人は西海岸のサンフランシスコに到着した。アメリカ大陸では1848年にカルフォルニア州で金鉱山が発見され、翌1849年からゴールドラッシュとなり、一獲千金のアメリカンドリームを求める「フォーティナイナーズ(49ers )」と呼ばれる人々で サンフランシスコの街は活気にあふれていた。その「フォーティナイナーズ」の中に、10年前(1841)に14 才で紀州沖で漂流し、太平洋上の絶海の孤島(鳥島)でアメリカの捕鯨船に救助され、その後にアメリカに連れていかれ、日本人で最初にアメリカ大陸の土を踏んだ土佐国(高知県)のジョン万次郎(中浜万次郎、1827~ 1901)がいた。彼は砂金集めで得た資金で日本に帰国するため、再び太平洋を渡り、2月に琉球(当時は薩摩藩と清国に両属の今の沖縄)にまで帰着した。一方、アメリカでは3月に、栄力丸の漂流民たちを日本に送り届けることで、鎖国政策をとる徳川幕府の政策転換を促す小道具として利用しようとの案が出て、栄力丸の日本人らは清国(中国)の香港に向けて出港し、ハワイ経由で香港に到着したが、この危険千万な企てに気がついた日本人の多くが香港で脱走をはかり、少年の彦蔵 (後のジョセフヒコ)はアメリカに戻ることを決め、再びハワイ経由で渡米した。

年表

【1851年(嘉永4)】


・2月 「栄力丸」の乗組員がサンフランシスコに到着

・3月  香港に向けサンフランシスコ港を出港

・5月  ハワイを経て香港に到着、船乗りの多くが脱走

・8月  薩摩藩が製錬所を開設

・この年、元漂流民ジョン万次郎が10年ぶりに米国から琉球

    (沖縄県)に帰着


《世界の動き》


・1851年、イギリスで初の万国博、ロンドン万国博覧会が開催

・1851年、米のオハイオ州で女性の権利会議が開催

・1851年、インディアンに対し、ミズーリ川以西の諸部族の

     領土をアメリカに併合(第一次ララミー砦条約)

・1851年、清国で太平天国の乱が起こり、清国の国力が

     弱って、鎮圧に力を貸した欧米列強の干渉を許す

     ことになる


 
日本と世界
《イギリス》第1回万国博・ロンドン博
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《イギリス》ロンドン博(1851)
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《イギリス》ロンドン博(1851)
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《中国》「太平天国」の教会礼拝
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太平天国の教祖・洪秀全の国印
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《中国》華北地方で太平天国の乱がおこる
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時の政治
 

第12代徳川将軍・徳川家慶(いえよし、在職1837~1853)

12代将軍・徳川家慶
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孝明天皇(第121代天皇)
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女性史
 
歌川国芳・画 <武蔵国ノ調布の玉川>
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反奴隷制運動家「私は女ではないのか」と演説
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ソジャーナ・トゥルース(1797頃〜1883)
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TOPICS
【世界初の万国博覧会の開催】
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