
幕末
ペリー上陸・ロシア来航
1854年(嘉永7/安政元年)
ペリー艦隊の再来航
前年の4隻から今回は9隻の黒船が来航した
浦賀沖の黒船
(浦賀は今の神奈川県横須賀市)
吉田松蔭の下田踏海事件
獄中の吉田松蔭
ペリー艦隊の再来航
前年の4隻から今回は9隻の黒船が来航した
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テキスト本文
1854年(嘉永7/安政元年) ペリー上陸・ロシア来航
年が明けた1月、予告通リに今度は9隻の黒船が浦賀沖に再来航し、幕府は3月に神奈川の横浜村(神奈川県横浜市中区)に上陸を許し、丁重に応接して日米和親条約に調印し、伊豆半島の下田(静岡県下田市)・箱館(北海道の函館)が、薪や水の補給港として開港地となり、その3月、長州藩の吉田松陰(1830~1859)は従者と共に、下田港に停泊中の黒船に真夜中に忍び込んで密航乗船を試みたが失敗し、奉行所に自首して投獄される身となってしまった。この年(1854年)プチャーチン提督率いる「ディアナ号」を旗艦とするロシア使節も来航し、幕府は12月にロシアと日露和親条約に調印した。
年表
【1854年(嘉永7・安政元)】
・1月 ペリー艦隊浦賀沖に再来航
・ 2月 幕府がペリーと横浜村にて談判(最初の日米会談)
・ 3月 日米和親条約の調印(伊豆下田/蝦夷地の箱館の開港)
長州藩の吉田松陰が米国船にて密航企て失敗
・5月 下田にて細則を定めた下田条約に調印
・6月 ペリー艦隊が日本から退却
・7月 幕府が「日章旗」を日本の惣船印と定める
・9月 プチャーチンが大坂湾沖に来航
・12月 日露和親条約に調印
《世界の動き》
・1854年、日本とアメリカが和親条約を調印
・1854年、欧州でクリミア戦争(1853〜1856)継続中
日本と世界
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時の政治
第13代徳川将軍・徳川家定(在職1853~1858)
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女性史
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TOPICS
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