
幕末
4つの大地震~南海トラフ地震~
1855年(安政2年)
この地震で約3万軒の家屋が罹災したという。32時間後には「安政南海地震」(M8.4)が起こり、さらに2日後にも四国・九州でM7.3~7.5があった
被害は関東から近畿地方までに及び、房総半島から四国の土佐の沿岸に津波が押し寄せた
「からくり儀衛門」(田中久重、東芝の創業者)らが参加して成功
この地震で約3万軒の家屋が罹災したという。32時間後には「安政南海地震」(M8.4)が起こり、さらに2日後にも四国・九州でM7.3~7.5があった
テキスト本文
1855年(安政2) 4つの大地震 〜南海トラフ地震〜
開国に舵を切った徳川幕府は、ロシア国の接近に警戒して蝦夷地(北海道)を幕府の直轄地の天領とした。 一方、幕府と和親条約を締結したいオランダ国は国王の名で黒船の軍艦を幕府に贈呈し、幕府は長崎に「海軍伝習所」を開設し、新式の西洋軍艦の操縦法を教えてもらうことになった。そんな前途が開けかけた日本国に前年(1854年・安政元年)の11月に「安政東海地震」(M8.4)、その32時間後に「安政南海地震」(M8.4 、津波被害)、さらにその2日後に四国・九州の一部で M7.3 ~ M7.5の大地震が続いたのに続き、この年の10月に首都の江戸に「安政の大地震」(M7.0 ~ M7.1 、江戸地震)が発生し、幕末の日本では多くの瓦版(新聞の前身)が発行され、大騒ぎとなった。
年表
【1855年(安政2)】
・2月 幕府が蝦夷地(北海道)を天領とする(上地)
・6月 オランダ国王から「観光丸」を贈られる
・7月 幕府が長崎に「海軍伝習所」設置(海軍の起源)
・10月 安政の大地震
・12月 日蘭和親条約調印
《世界の動き》
・1855年、フランス初のパリ万国博覧会が開催(入場者500万人)
・1855年、欧州でクリミア戦争(1853〜1856)継続中
日本と世界
時の政治
第13代徳川将軍・徳川家定(在職1853~1858)