
幕末
安政仮条約と安政の大獄
1858年(安政5年)
西郷隆盛・高杉晋作・平野国臣
西郷隆盛・高杉晋作・平野国臣
テキスト本文
1858年(安政5) 安政仮条約と安政の大獄
アメリカの開国要求を受け入れた徳川幕府に対し、 病床13代将軍に代わり奔走する老中堀田正睦(まさよし)に、京(京都)の朝廷が幕府の開国案を3月に拒否したことで、日本の長い漂流が始まった。幕府は翌4月に、近江国(滋賀県)彦根藩主の井伊直弼(1815~1860)を大老の重職に起用し、アメリカ・オランダ・イギリスと相次いで修好通商条約を調印し、翌年6月1日の横浜開港と進展したところで、13代将軍が死去した。正室の篤姫との間に子供がなかったことで、徳川幕府の世継ぎ問題が沸騰する中、将軍不在の中でフランスとも条約を締結した。14代将軍に若い紀州(和歌山県)藩主 の徳川家茂(いえもち、1846~1866)が就任すると、実権握る井伊大老は、幕府に異論を唱える反対派を容赦なく弾圧 (安政の大獄)、京で尊王攘夷を唱えて幕府批判の急先鋒にあった清水寺の月照(忍向上人)とその和歌仲間で京薩摩藩邸詰めだった西郷吉之助(後の隆盛)は、ともに西郷の国元に逃れたが、藩の立場(篤姫改め天璋院の国元)を危惧した薩摩藩が受け入れを拒否すると、前途を悲観して錦江湾(鹿児島湾)へ飛び込んで入水自殺を図り、西郷はかろうじて蘇生して一命をとりとめたが、薩摩藩は死体があがらないと理由をつけて西郷を遠島送りとした。
年表
【1858年(安政5)】
・3月 堀田老中が朝廷から開国案の勅許得られず
・4月 彦根藩主の井伊直弼が大老職に就任
・5月 米英仏露と清国が天津条約(上海港の開港)
・6月 日米修好通商条約調印(1959年7月4日発効)
・7月 日蘭修好通商条約調印(1959年7月4日発効)
日英修好通商条約調印(1959年7月4日発効)
日露修好通商条約調印(1959年7月4日発効)
・8月 徳川家定(13代将軍)が死去
・9月 日仏修好通商条約調印(1959年7月4日発効)
(以上、箱館・兵庫・神奈川・長崎・新潟の開港を取り
決めた条約は安政5カ国条約・安政の仮条約)
幕府の反開国派の弾圧が始まる(安政の大獄が
始まる)
・10月 徳川家茂が14代将軍となる
・12月 朝廷が条約勅許を拒否
《世界の動き》
・1858年、英・仏・清のアロー戦争(1856〜1860)戦争中
・1858年、東インド会社が英政府直轄となり、英領インド帝国
(1858〜1947)が成立
日本と世界
時の政治
第13代徳川将軍・徳川家定(在職1853~1858)
第14代徳川将軍・徳川家茂(在職1858~1866)