
幕末
横浜開港と吉田松蔭の処刑
1859年(安政6年)
横浜開港場の造成
急造中の横浜居留地
現在の横浜中心部にあたる
開港の頃の長崎の大浦居留地
横浜開港場の造成
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テキスト本文
1859年①(安政6) 横浜開港と吉田松陰の処刑
この年の1月、幕府は長崎・箱館(函館)に加え、さらに神奈川を開港場とすると正式に決定、神奈川については東海道の神奈川宿に近いことから、少し離れた横浜村を「ここも神奈川」とこじつけて埋め立て工事を開始した。6月1日にようやく日本の真の開国となったが、安政の大獄は激しさを増し、幕府の反幕勢力への弾圧は宮中や親藩にも及び、一時は釈免されて萩の松下村塾で多くの人材育成に励んでいた長州藩の29歳の吉田松陰(1830~1859)も、再度の投獄の後に10月に処刑されてしまった。
年表
【1859年(安政6)】
・1月 長崎・箱館(函館)・神奈川(横浜)の3開
港場を指定
・ 2月 安政の大獄が京の公卿にまで及ぶ
・ 6月 長崎・箱館・神奈川に代えて横浜の3開港場で開港
英国オールコックが江戸高輪の東禅寺に移る
米人ハリスが江戸麻布の善福寺に移る
・8月 徳川親藩の一橋慶喜に隠居謹慎・水戸斉昭に永蟄居
の処分
・10月 吉田松陰が処刑される
《世界の動き》
・1859年、6月1日(太陽暦)日本の横浜港が開港
7月4日(太陽暦)に修好通商条約が発効
日本、アメリカ・オランダ・イギリス・フランス
・ロシアなどと貿易開始
・1859年、 英・仏・清のアロー戦争(1856〜1860)戦争中
・1859年、アメリカのネバダ州・コロラド州で「ゴールド
ラッシュ」
日本と世界
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時の政治
第14代徳川将軍・徳川家茂(在職1858~1866)
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女性史
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