
幕末
咸臨丸と桜田門外の変
1860年(安政7/万延元年)
本調印のための初の太平洋横断の船旅(勝海舟・軍艦奉行)
台場は大砲を据え付けるために建築された石造りの小島(お台場)
本調印のための初の太平洋横断の船旅(勝海舟・軍艦奉行)
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1860年(安政7/万延元) 咸臨丸と桜田門外の変
横浜開港の翌年のこの年(1860)、日米通商航海条約の本調印のため、初の遣米使節団「咸臨丸」が江戸・品川から、勝海舟・中津藩(今の大分県中津市)の福沢諭吉・通訳の中浜万次郎らを乗せて出航した。開港場では商品が高く外国人が買ってくれると、国内の諸物価 は騰貴し、幕府は対応策として、翌年から生糸・雑穀・水油・蝋・呉服の五品を江戸の問屋を経由するよう「五品江戸廻送令」を3月に出したが、その年の3月3 日には、江戸城の桜田門外で水戸藩士らに井伊大老が殺害され(桜田門外の変)、幕府の要職者が江戸城玄関 口ともいえる地で殺害されたことは、「幕府の弱体化」を露呈することとなり、8月には、121代天皇の孝明天皇の妹の和宮(かずのみや)を徳川家茂と政略結婚させる「公武合体論」が急浮上した。
年表
【1860年(安政7)】
・1月 遣米使節団が「咸臨丸」が出港
・3月 井伊大老が桜田門外で殺害(桜田門外の変)
安政七年を「万延元年」と改元
・8月 天皇の妹(和宮)の徳川家への降嫁案が浮上
・9月 遣米使節団が帰国
・12月 米通訳ヒュースケンが江戸で殺害
《世界の動き》
・1860年、日米修好通商条約の批准書の交換
(万延元年の使節団)
・1860年、アメリカでリンカーンが大統領に当選、反発した
サウスカロライナ州が合衆国から脱退、
南部10州続く
・1860年、英・仏・清のアロー戦争(1856〜1860)が終結
北京条約が締結される
・1860年、日本とポルトガルが通商条約に調印
日本と世界
時の政治
第14代徳川将軍・徳川家茂(在職1858~1866)