
幕末
公武合体と第一回遣欧使節団
1861年(万延2/文久元年)
横浜の外国人居留地
横浜の外国人居留地
横浜の外国人居留地
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1861年(万延2/文久元) 公武合体と第一回遣欧使節団
前年の「桜田門外の変」で屋台骨が揺らぎ始めた徳川幕府は、その直後から天皇の妹・和宮(かずのみや)を将軍家に迎える「公武合体」の政略結婚を画策し、この年の和宮の京からの江戸への東下と翌年の婚儀が内定した。一 方、殺害された井伊大老が主導した江戸・大坂(大阪) の開市・兵庫・新潟の開港を約束した安政の5カ国条 約(朝廷の勅許のない仮条約)の実施の5年延期を決議 して各国に伝え、条約に一度は調印したオランダ・イギリス・プロシャ(ドイツ)などを訪欧して、5年間の猶予延期をとりつけるべく、12月に「開市開港延期交渉使節団」(第一回遣欧使節、文久遣欧使節)を派遣することとした。この年、朝廷が外国を追い払う攘夷姿勢を 鮮明にしたことで、国内では外国人襲撃事件が続発し、 困惑した徳川幕府は、かつてシーボルト事件で国外退去とした長崎出島のオランダ商館のドイツ人医師で再び日本にやってきたシーボルト(1796〜1866)を正式に雇い入れることとした。
年表
【1861年(文久元)】
・1月 露の艦船が対馬に占有のため来航(8月退去)
・2月 万延二年を文久元年と改元
・3月 幕府が江戸/大坂の開市・兵庫/新潟の開港延期を決す
・4月 幕府、上記の5年間延期を各国に伝える
・5月 水戸浪士が英公使館を襲撃(第一次東禅寺事件)
幕府がシーボルトを雇い入れ
・6月 朝廷が攘夷の内意を長州藩に伝える
・7月 幕府が品川御殿山に「公使館」設置認める
・10月 皇女和宮が東下
・12月 「開市開港延期交渉使節団」(第一回遣欧使節)
が出発
《世界の動き》
・1861年、アメリカで南北戦争(1861年〜1865年)始まる
(主因は奴隷制は憲法に違反か否かの意見対立)
・1861年、ロシアで農奴解放令
・1861年、イタリア王国が成立
・1861年、プロイセンと日普修好通商条約に調印
日本と世界
時の政治
第14代徳川将軍・徳川家茂(在職1858~1866)