
幕末
大政奉還・ええじゃないか
1867年(慶応3年)
各地で天から伊勢神宮の神札が降った
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1867年(慶応3) 大政奉還・ええじゃないか
1月に満14歳の睦仁親王(むつひと、明治天皇)が第122代天皇に即位して新しい時代が始まることになったが、 元号は「慶応」のままだった。二年前の「安政五カ国条約」(1858)の朝廷の条約勅許でも京に近い大坂開市・兵庫開港は先延ばしされたので、3月には各国公使が大坂城の将軍に面会、翌4月に幕府が「兵庫大坂外国人居留地規定書」を制定して、外国人居留地が天領の兵庫に代えて東にある神戸村に決まり、5月に勅許がなされ、7月に兵庫奉行が設置されることになった。復権した長州藩、幕府に強い対抗心を抱く薩摩藩が同盟関係にあったことで朝廷を味方につけて、幕府を武力で倒す図式が出来上がり、内乱の危機が現実のものとなり、国中が緊張に包まれることとなった。一方、土佐藩から4月に脱藩した坂本龍馬が構想した「船中八策」を、同じく土佐藩の後藤象二郎が手を加え、前藩主の 山内容堂がしたためた政権を朝廷に返上する建白書が将軍の手に渡り、10月に大政奉還が実現した。時を同じくして朝廷からは「討幕の密勅」が出され、幕府側は11月に土佐藩の拠点「近江屋」に坂本龍馬・中岡慎太郎を襲撃して殺害(近江屋事件)して水面下で応戦した。12月、岩倉具視に薩摩藩・土佐藩・安芸藩(広島藩)、 実は勤王派だった尾張藩(名古屋藩)・越前藩(福井藩)が加わり「王政復古」のクーデターが起こり、15代将軍は二条城から大坂城に身を移すこととなった。この年、各地で天から神札が降り、「ええじゃないか」が流行した。
年表
【1867年(慶應3)】
・1月 明治天皇が即位
・3月 徳川慶喜、大阪城で各国公使と面会
・4月 幕府が「兵庫大坂外国人居留地規定書」を制定
土佐藩の坂本龍馬が脱藩を許され、亀山社中を
海援隊と改める
・5月 兵庫開港(神戸開港)・大坂開市の勅許下る
・7月 兵庫奉行が設置
・10月 徳川幕府、政権を朝廷に返上(大政奉還)
・11月 坂本竜馬暗殺される(近江屋事件)
・12月 神戸港開港式典(新暦1月1日)
王政復古の大号令
《世界の動き》
・1867年、日本・アルゼンチンが「日丁修好通商条約」調印
・1867年、パリで万国博覧会が開催され、日本が初参加し、
幕府・薩摩藩(今の鹿児島県)肥前藩(今の佐賀
県)が出品、幕府代表として徳川昭武、渋沢栄一が
パリを訪問
・1867年、フランスがインドシナのカンボジアを植民地
旧来の宗主国タイ(シャム・当時)が認める
(その後、英仏の植民地獲得競争で英領ミャンマー
とインドシナ半島の仏領の間にあるタイは両国
の緩衝地として東南アジアで唯一の独立を保持)
・1867年、アメリカが飛び地のアラスカをロシアから購入
(1912年にアラスカ準州、1959年に合衆国に加盟)
日本と世界
時の政治
第15代徳川将軍・徳川慶喜(在職1866~1868)