
明治
新日本建設
1870年(明治3年)
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1870年(明治3) 新日本建設
「御一新」と呼ばれた明治維新が始まり、長らくの幕府の鎖国政策で立ち遅れていた近代化が急がれることとなった。文明開化の象徴として「鉄橋」が各地に建築され、首都の東京では外国人居留地がある築地が文明開化の発祥の地となった。新婚の大隈重信(参議、大 蔵省)の築地本願寺近くの広大な大隈邸には、新政府入りして上京したばかりの伊藤博文(民部省・大蔵省)・ 井上馨(大蔵省)・五代友厚(会計官権判事)・渋沢栄一(大蔵省)・前島密(民部省・大蔵省)・山縣有朋(兵部省)・中井弘 (外務省)・大江卓(民部省)らの若手の精鋭が集まり、俗に「築地梁山泊(つきじりょうざんぱく)」と呼ばれた邸宅で新日本建設について連日激論が交わされた。前年11月に大蔵卿の伊達宗城・大隈重信・伊藤博文らが、借金してでも鉄道敷設を主張したことから、この1870年(明治3)4月にロンドンで初の外債(日本国債)の募集に成功、10月には産業近代化の推進役として鉄道・電信・鉱山・製鉄・造船 などを所管する官営工業の中心役所「工部省」が設置されることとなった。この年、海外の新聞は、維新政府の新日本建設をこぞってほめちぎることとなった。
年表
【1870年(明治3)】
・4月 ロンドンで初の外債募集(鉄道敷設のため)
・9月 平民に苗字を許す
・10月 工部省設置
・11月 徴兵規則が公布
《世界の動き》
・1870年、ドイツ(※)とフランスが戦争(普仏戦争)、仏の
ナポレオン三世が捕虜となり、敗北して退位する
・1870年、フランスが憲法を制定し、第三共和政制(1870〜
1940)始まる
※プロイセン、日本ではプロシヤと表記
プロイセン国王の信任を受けたビスマルク(軍歴、1841〜
1890)が同国の軍制改革を断行して、ドイツ統一を図り
先の普墺戦争でプロイセンが勝利し、北ドイツ連邦を樹立
普仏戦争でプロイセンが勝利し、南ドイツ諸国を取り込み
翌1871年に統一ドイツのドイツ帝国(1871〜1918)
が誕生した
・1870年、普仏戦争の勃発で、ローマ駐留仏軍が移動し、
好機とみたイタリア王国軍がローマに侵攻、教皇
軍を破り、ローマを併合し、首都をローマとする
(イタリアの統一成る)
・1870年、イギリス人のセシル・ローズが南アフリカに上陸
日本と世界
時の政治
第122代天皇・明治天皇(睦仁、在位1867~1912)
太政大臣 三条実美