
明治
岩倉使節団
1871年(明治4年)
散髪令・四民平等
郵便制度研究で英国に渡った前島密(ひそか、日本の郵便の父、1835~1919)の発議で東京~大阪間で官営の近代郵便制度が始まった
維新政府の要人がこぞって海外視察し、見聞を広めた
散髪令・四民平等
テキスト本文
1871年(明治4) 岩倉使節団
天皇親政の下、太政大臣の三条実美を筆頭に若手官吏を参集しての新しい国造りは緒についたばかりで、 欧米諸国との格差は歴然としていたので、まずは欧米に追いつけ、が合言葉となった。版籍奉還に続いて旧態然とした全国の「藩」を新たに「県」とする「廃藩置県」を全国で断行、東京・京都・大阪の3府と302県が誕生し、新たな国と県との関係が生まれ、「新式の郵便制度」「新たな通貨制度」「新たな教育制度」が模索された。1月の「郵便規則」の制定で日本の郵便制度が始まったのに続き、5月には「貨幣条例」(新貨条例)が 公布され、従来の「両・文」から「円・銭」となる新通貨制度が布告された。7月には教育行政をつかさどる文部省(現・文部科学省)が設置され、また、この年には清国(中国)・ハワイ国(今のハワイ州)とも通商条約を締結、いよいよ10月には条約改正の改正交渉と海外視察を兼ねた欧米使節団(岩倉使節団)が日本を出発、国内居残り組の太政大臣(今の総理大臣)の三条実美・参議の西郷隆盛らを除く政権の主要メンバーがこぞって初めての海外渡航に旅立った。
年表
【1871年(明治4)】
・1月 郵便規則の制定(郵便制度の始まり)
・4月 戸籍法改正
・5月 貨幣条例が公布
・7月 文部省(現・文部科学省)設置
廃藩置県
・10月 岩倉使節団(欧米派遣)
《世界の動き》
・1871年、政府がハワイ王国と「日本ハワイ修好通商条約」
調印
・1871年、アメリカでシカゴ大火
・1871年、政府が日清修好条規・通商章程を調印
・1871年、普仏戦争でドイツ軍がパリに侵攻、戦争終結
和平交渉に反対の各地の基礎自治体(コミューン)
がパリ・コミューン宣言(史上初の労働者政権)
するも2か月で鎮圧される
・1871年、ドイツ帝国(1871〜1918)が成立、ベルリンを
首都にプロセイン国王を戴く帝政ドイツの誕生
日本と世界
時の政治
第122代天皇・明治天皇(睦仁、在位1867~1912)
太政大臣 三条実美