
明治
内閣制度の発足
1885年(明治18年)
鹿鳴館時代
明治18年頃
内閣制度の採用
太政官布告69号
鹿鳴館時代
明治18年頃
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テキスト本文
1885年(明治18) 内閣制度の発足
1885年(明治18)も陰惨な松方デフレはおさまらず、巷では落語家・三遊亭円朝(初代、1839〜1900)の怪談噺「牡丹燈籠」が評判となった。5月には3年前の1882年(明治15)に営業開始の日本銀行が初めて日銀券(現在の円紙幣)を大量に印刷発行して、デフレ退治にやっきとなったが、全国の農村では借金に苦しむ農民が自由党員と結んでの暴動騒ぎが頻発し、前近代的な太政官制度では国民の支持をつなぎとめられないとさとった三条実美太政大臣は、12月に太政官布達第69号にて従来の太政大臣制を廃止し、所管官庁の国務大臣による合議制の近代的な内閣制度の発足を布告、初代総理大臣には三条実美の信任の厚い伊藤博文が就任した。
年表
【1885年(明治18)】
・5月 日本銀行が初めて日銀券を発行
・12月 内閣制度が発足(初代総理大臣・伊藤博文)
《世界の動き》
・1885年、ハワイ政府との官約移民が成る
・1885年、前年の甲申事変で清国と日本が天津条約締結
・1885年、清仏戦争がフランスの勝利で終結、天津条約で
ベトナムがフランスの植民地となり、中国南部
におけるフランスの通商・鉄道敷設権が認められる
・1885年、ドイツが太平洋のマーシャル諸島を植民地化
し「独領ミクロネシア」となる
日本と世界
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時の政治
初代首相・第1次伊藤博文内閣
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女性史
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TOPICS
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