
大正
日本初のメーデー・摂政宮
1921年(大正10年)
民間の移民斡旋会社のポスター
テキスト本文
1921年(大正10) 日本初のメーデー・摂政宮
第一次世界大戦の終結で、活況に次ぐ活況で沸き返った産業界で大規模なリストラが始まり、1921年(大正10)の日本社会は騒然となる中、3月には皇太子 (後の昭和天皇)が初の外遊として欧州に船に乗って旅立たれ、9月に帰国されるまでの半年間、海外で歓待される華やかなニュースが日本に届けられることとなった。一方、庶民の生活は、前年に出版された「死線を越えて」(賀川豊彦・著)がベストセラーになるほど厳しく、同年5月2日には上野公園で労働者約1万 人が参加して日本初の本格的なメーデーが開催され、「失業の防止」「最低賃金法の制定」「シベリア撤兵」「治安警察法17条の撤廃」などの動議が決議され、終了後 にデモ隊と警察隊とが激しく衝突する騒ぎにまで発展 した。皇太子の帰国後の11月には首相の原敬が東京駅でテロにより暗殺され、その葬儀後に、立憲政友会を与党に高橋是清内閣が組閣、内閣誕生のおよそ二週間後に、病弱の大正天皇に代わりその職を行うべく皇太子が「摂政宮」となられることとなった。
年表
【1921年(大正10)】
・2月 政府は「皇太子妃は内定通り変更がない」旨を発表
(宮中某重大事件)
・3月 皇太子の初の外遊に出発
・6~7月 神戸で川崎造船所・三菱造船所の大労働争議が起こる
・7月 中国にて第一回共産党大会(上海、中国共産党の創立)
・9月 皇太子の外遊帰国
・11月 原敬の暗殺
高橋是清内閣の組閣
《世界の動き》
・1921年、アメリカのワシントンで、米・英・日・仏・伊と
オランダ・ベルギー・ポルトガル・中国が参加して
主力艦の保有制限をめぐるワシントン軍縮会議が
翌年にかけて開催され、また、四カ国条約で、太平
洋上の島嶼の現状維持(日英同盟破棄)、中国に
の門戸開放など九カ国条約などが成立
・1921年、外モンゴル人民革命政府が成立
・1921年、中国共産党が上海のフランス租界で結党(7月23日)
・1921年、中国で「阿Q正伝」(魯迅)の連載小説が開始
・1921年、英植民地インド、国民議会でガンディーの非暴力
無抵抗主義を可決