大正

第一次国共合作の成立

 

1924年①(大正13年)

反米意識の高まり
反米意識の高まり

1924(大正13)日系移民問題での排日運動に憤る

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「大アジア主義」の演説する孫文
「大アジア主義」の演説する孫文

1924(大正13)神戸

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ワシントン会議で軍縮進む
ワシントン会議で軍縮進む

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反米意識の高まり
反米意識の高まり

1924(大正13)日系移民問題での排日運動に憤る

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1924年①(大正13) 第一次国共合作・日米関係


1924年(大正13)に、かつて日本に20年近く住んだアメリカ人宣教師シドニー・ルイス・ギューリックは、アメリカ議会における日本人移民排斥問題を背景にした日米関係の悪化を憂慮し、「青い目の西洋人形」を日本の学校に贈る計画をアメリカ全土に呼びかけた。 一方、中国大陸では革命政府を維持するため、宣統帝(愛新覚羅溥儀)の退位と引き換えに清朝の実力者・袁世凱に孫文の起こした革命政府の総統の座が譲られたが、袁の独裁政治が始まり、袁の軍隊に敗れた孫文は日本に亡命し、孫文は帝国主義の歩みを強めつつあった日本を牽制し、神戸で西洋的な武力による覇道ではなく、「仁義道徳」を基礎にした東洋王道の守り手となるよう迫る「大アジア主義」講演を行って万雷の拍手喝采を受けた。一方、日本人移民排斥問題で西洋人を憎み、「大亜細亜主義」を標榜する福岡の「玄洋社」の内田良平の依頼を受けた同じ「玄洋社」の首領・頭山満(孫文の支援者であった犬養毅の盟友でもあった)が宿泊先の神戸のホテルに孫文を訪ね、旅順・大連の権益回収問題に釘を差して帰っていった。震災翌年の 1924年(大正13)のこの年、中国(中華民国・当時)の孫文の主導で中国国民党政府は全国大会で抗日のため、 中国共産党と国民党(1919に孫文が秘密結社の中華革命党を改組して作った政党)とが連携、中国共産党が「容共政策」に舵を切った国民党に呑み込まれるかたちで、民族統一戦線となる「第一次国共合作」が成立した。

年表
 
日本と世界
《日・中国》来日した孫文夫妻
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《米》ウォールストリートの証券取引所
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《米》当時のニューヨーク
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《米・日》カルフォルニア州
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《米・日》ハワイ
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《ブラジル・日》リオ・デジャネイロ
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時の政治
 

帝国議会解散(1/31)

第23代首相・清浦奎吾内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/23.html

第15回衆議院議員総選挙(5/10)

第24代首相・加藤高明内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/24.html

衆議院の解散(2/1)
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護憲三派が大連合
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大正13年5月の衆議院選挙
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清浦圭吾内閣の組閣
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清浦特権内閣の打倒勢力結集
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与党・政友会の分裂騒ぎ
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女性史
 
銀座のモダンファッション
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<二号街の女>より 小林かいち
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カフェーの女給
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女性の職業紹介所
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TOPICS
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【第1回選抜中等学校野球大会】-1924(大正13)
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【第1回明治神宮競技大会の始まり-1924年(大正13)】
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