昭和(戦前)

満州事変の勃発

 

1931年②(昭和6年)

満州事変の勃発
満州事変の勃発

柳条溝事件(1931)

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満州事変
満州事変

爆破されたとする満鉄線の現場

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荒木貞夫中将(後の陸軍大臣)
荒木貞夫中将(後の陸軍大臣)

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満州事変の勃発
満州事変の勃発

柳条溝事件(1931)

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1931年②(昭和6) 満洲事変の勃発


日本政府の満洲分離のもくろみに対し、中国大陸では中国東北軍の張学良(殺害された張作霖の息子)政権の「東北交通委員会」が「打倒満鉄」の対決色を前面に押し出し、南満洲鉄道(満鉄)に並行して鉄道を敷設し「利権回収運動」を段階的に実行して満鉄経営を圧迫した。日本の大陸政策の屋台骨の満鉄の動揺は、関東軍が主導する満洲経営の挫折を意味し、世界大恐慌の影響で収入を大幅に減らした同社の経営危機は関東軍の危機感を助長していった。衆議院の野党の政友会議員で満鉄OBの松岡洋右(ようすけ、後の満鉄総裁)は『満蒙は日本の生命線』と公言して政府の消極的な中国大陸政策を批判し、政権奪取を狙う野党の政友会と関東軍の思惑が一致する中、閉塞感打破を企図した関東軍の高級参謀の板垣征四郎・石原莞爾は奉天駅から東北約7.5キロ郊外の柳条湖にて軍自らが夜10時20分頃に満鉄のレール を爆破して中国東北軍(張学良軍)の仕業とし、すぐさま、中国軍の営舎を攻撃し、翌日には中国側に総攻撃を開始した(柳条湖事件、中国では9・18事変)。林銑十郎(後の首相)が率いる朝鮮軍も参謀本部の「勅命を待て」の命令を無視し、独断で鴨緑江を渡って越境して中国に入り、1週間の内に満洲の奉天省(現・遼寧省)・吉林省の大部分を占領し、3年前に関東軍の作戦参謀として大陸に赴任した石原莞爾が立案した「関東軍満蒙領有計画」の新国家建設の青写真の実現に向けて戦線を拡大、国内の若槻内閣・幣原喜重郎外相は不拡大方針であったが、関東軍が主導する満蒙領有計画を推進すべく、陸軍内部の急進的な過激派が若槻内閣を倒閣して、軍事政権を樹立するクーデター計画が実行寸前のところで発覚し中止となったが、11 月に総辞職した若槻内閣の後継内閣として12月に誕生した政友会の犬養内閣の陸軍大臣には、クーデター計画で首相に担がれる予定だった陸軍中将でやはり「満蒙は日本の生命線」と主張する荒木貞夫が就任した。かたや中国では、1931年(昭和6)11月に内陸部の江西省の山間部の瑞金(ロイチン)に全国の共産党員を集めて「中華ソビエト共和国」(首都は瑞金、1931〜1934消滅)を立ち上げて革命根拠地とした。

年表
 
日本と世界
《朝鮮半島》慶尚南道庁
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《朝鮮半島》ソウルの南大門
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《朝鮮半島》金剛山
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《朝鮮半島》平壌の反日暴動
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《米》ロサンゼルス・ハリウッド
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《米》ハリウッド(POSTCARD集)
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時の政治
 

第27代首相・濱口雄幸内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/27.html

第28代首相・第2次若槻礼次郎内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/28.html

第18回衆議院議員総選挙
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犬養毅内閣の組閣
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犬養内閣の金輸出再禁止
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枢密院の入口
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女性史
 
銀座の兵児帯ファッション
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タイピスト
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女性の水着スタイル
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女学生のバレーボール
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最新の浴衣(ゆかた)
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