昭和(戦前)

ナチ党とヒトラー独裁への道

 

1934年③(昭和9年)

ヒトラー首相の誕生
ヒトラー首相の誕生

(1933)

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失業者対策に道路建設に着手
失業者対策に道路建設に着手

パフォーマンスするヒトラーは翌年に総統に就任すると、大道路網計画(アウトバーン建設)を公表(1933)

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日本で発売のナチスレコード
日本で発売のナチスレコード

ニット―レコード発売(1934)

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ヒトラー首相の誕生
ヒトラー首相の誕生

(1933)

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テキスト本文

1934年③(昭和9) ナチ党とヒトラー独裁への道


人類史上特筆される扇動政治家のアドルフ・ヒトラーは、1889年(明治22)にオーストリア-ハンガリー帝国(1867~1918)にオーストリア人としてドイツ国境近くの街で生まれた。その後にドイツ帝国のミュン ヘンに移住し、青年期の第一次世界大戦(1914~1918) にはドイツ帝国軍の伝令兵(伍長)として従軍、戦後に除隊し、30才となる1919年頃までは普通の青年だったという。大戦後には、敗戦国のドイツ帝国・オーストリア-ハンガリー帝国・オスマン帝国は崩壊し、勝利国のイギリス・フランスは、4年以上の戦費を、当初は中立国だったアメリカから借金して賄ったため、新しく誕生したヴァイマル共和国(ヴァイマル・首都)は、ヴェルサイユ条約(1919)により、両国からアメリカへの借金返済に見合う天文学的な戦争賠償金を請求された。また、世界で最も民主的と言われるヴァイマル憲法を制定した新生のヴァイマル和国に対して、ヴェルサイユ条約は、徴兵制度を禁止し、陸軍は歩兵7個師団・ 騎兵3個師団を上限に将校約4000人を含めて兵員10 万人に制限、海軍も総トン数18万トンと厳しい制約を課し、国土の約13%を失ったドイツ国民は大戦後の 猛烈な戦後インフレと民族的屈辱感を抱え込むこととなった。政界では「ドイツ労働者党(1919年創立)」 を前身に『労働者をマルクス主義から守る』とした極右政党の「ナチ党(国民社会主義労働者党)」がドイツ社会の中で台頭をはじめ、1920年に軍隊を除隊してナ チ党に入党したヒトラーは、演説上手で聴衆を熱狂させるカリスマを演じて存在感を強め、政治世界にのめりこみ、3年後(1923)には軍事クーデター(ミュンヘ ン一揆)を図り、失敗して投獄された。1928年(昭和 3)にナチ党は初の国政選挙で12議席を獲得、その翌年(1929)10月に繁栄を誇っていたアメリカで株式市場が大暴落、債権国の経済混乱は、債務国の英・仏さらにはその先のドイツにも波及し、世界恐慌が始まった、街には失業者があふれる中、農村部の窮状に目をつけたナチ党は、1930年(昭和5)9月のドイツ総選挙 で95議席増の107議席を獲得し、第二党に大躍進、ドイツ共産党も一挙に100を超す議席を獲得した。翌1931年(昭和6)6月、アメリカのフーバー大統領は英・仏に対して戦費支払いの1年間モラトリアムを提案するも、7月にドイツで金融恐慌が起こり、9月に到ってはイギリスが自国通貨安を図って金本位制を離脱してしまった。1932年(昭和7)のドイツは「選挙の年」で、経済苦境に無力な議会は機能不全に陥り、若者のヴァイマル共和国離れに拍車がかかり、マルクスの唱える共産主義に傾く若者が急増する中、3月の大統領選挙にアドルフ・ヒトラーが出馬してヒンデンブルク大統領に次いで二位となった。7月の国会議員選挙ではナチ党が230議席を獲得して第1党となり、11月のドイツ総選挙でも第1党を保持、共産党勢力も勢力拡大すると、翌1933年(昭和8)1月末、ヒンデンブルク大統領の与党の保守政党が渋る大統領を説得してヒトラーを首相に任命して与党とナチ党との連立政権の「ヒトラー内閣」が成立、ところが、「民意を問う」とした3 月の総選挙直前の2月、「国会議事堂放火事件」が発生した。事件の翌日、ヒトラー首相は、事件を共産党の 仕業と決めつけて「緊急大統領令」(ヴァイマル憲法48 条)を布告、ここに憲法の定める基本的人権が停止し、 3月に開催した議会においてさらに「授権法(全権委任法)」が成立させて警察権力を増大させ、政敵の共産党員を根こそぎ逮捕し、人種差別主義者(レイシスト)・ 反ユダヤ主義者・反共産主義者・劣等人種を追放すべしとする優生思想を持ついびつな独裁者の出現で、独裁を手にしたアドルフ・ヒトラー首相は、1933年(昭和8)の5月にニューディール政策のドイツ版というべき 「4 ヵ年計画」を苦境にあったドイツ国民に発表、国内にあふれる失業者を総動員して大道路網(アウトバーン)建設を開始、一家に1台の自動車(フォルクスワー ゲン)保有を公約した。一方、ドイツ国民を苦しめて きたヴェルサイユ条約を破棄して100万兵力の戦争体制を水面下で時間をかけて準備をしていたドイツは、国民を解放するとして5月16日に国内外にドイツの「再軍備宣言」を行ない、英・仏に衝撃を与えることとなった。同年9月には、ユダヤ人の市民権を剥奪し、ユダヤ人科学者のアインシュタイン博士はドイツが国際連盟を脱退した10月にドイツから国外に亡命した。 翌1934年(昭和9)8月にヒンデンブルク大統領が死亡したことで、大統領と首相の権限を併せ持つ「ヒト ラー総統」が誕生し、その後12年間に及ぶヒトラー独裁が完成したことで、危機感を抱いたフランクフルト在住のアンネ・フランクのユダヤ人一家はドイツからオランダに脱出することとなった。

年表

【1934年(昭和9)】


・3月 武藤山治(帝人社長)暗殺

・6月 文部省(現・文部科学省)に思想局設置

    東郷元帥の国葬

・7月 岡田内閣が組閣

・9月 室戸台風

・10月 陸軍パンフレット事件

・11月 十一月事件

・12月 日本政府がワシントン条約を破棄


《世界の動き》


・1934年、アメリカでシカゴ万国博覧会(2回目)が開催

・1934年、ヒトラーがドイツの首相・大統領兼任となる

・1934年、ドイツとポーランドが不可侵条約

・1934年、中国共産党が根拠地の瑞金を放棄し「長征」へ

・1934年、ソ連が国際連盟に加盟

・1934年、ローズベルト大統領の「銀買上法」で中国から

     銀貨が流出し、中国経済が恐慌状態に

・1934年、国際連盟の中国経済援助に反発した日本政府の

     天羽(あもう)情報部長が批判(天羽声明)



 
日本と世界
《独》ヒトラー首相の誕生45年
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《独》ヒトラー首相の誕生祝賀会
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《独》ヴェルサイユ条約の軍事条項の破棄
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《独》徴兵制復活の号外
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《仏》<PARIS,1934>ラウル・デュフィ・画
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