
昭和(戦前)
不戦条約と天皇機関説問題と国体明徴
1935年①(昭和10年)
楠木正成銅像・陸軍パンフレット
「挙国一致」の名のもとに労働者も右派と左派に分裂し、衰退していった(1935)
楠木正成銅像・陸軍パンフレット
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1935年①(昭和10)不戦条約と天皇機関説と国体明徴
日本が国際的に孤立して2年目の1935年(昭和10)、以前に締結されたロンドン軍縮条約、ワシントン軍縮条約の条約更改の問題が「1935年・1936年問題」として政治課題となった。「不戦条約」(昭和3年調印、昭和4年議会で批准)の条文の中に「人民の名において」 の文言があり、日本の国体は天皇制のため、日本には 「人民の名において」は適用されないこととなったが、 国際協調が不要となった時代に、当時の通説であった『天皇は法人としての国家の最高機関であって、天皇の戦争統帥権は万能ではない』との天皇機関説に軍部・貴族院議員の菊池議員がけちをつけ、同じ貴族院の勅選議員で、憲法学者の美濃部達吉を攻撃、在郷軍人会も同調して雑誌で排撃、昭和天皇は、国家を人体にたとえ、天皇は脳髄であり「機関」(法律用語、一般用語ではエンジンの意味)の文字を当てずに「器官」の文字を用いれば国体と矛盾するものではないのではないかと武官長(本庄繁)を通じて陸軍教育総監(真崎甚三郎)に伝えたが、美濃部議員は不敬罪の罪を問われて議員辞職に追い込まれた(天皇機関説事件)。文部省思想局はすぐさま、「各大学における憲法学説調査に関する文書」を出し、憲法学者19人を「速急の処置」「厳重注意」「注意喚起」に3分類して、学説を曲げない学者を教育現場から排除することとし、政府は8月に日本国は天皇を頂点とする神の国、と「国体明徴運動」を開始した。
年表
【1935年(昭和10)】
・2月 天皇機関説問題が起こる
・3月 北満鉄道譲渡協定調印(日・満・ソ)
・4月 満洲国皇帝(溥儀)の来日
・8月 政府が国体明徴声明
・11月 華北に傀儡政権が樹立
・12月 ロンドン軍縮会議始まる
《世界の動き》
・1935年、ドイツ、徴兵制による再軍備宣言
ナチスドイツ、ユダヤ人の市民権剥奪
・1935年、アメリカが「中立法」を制定
・1935年、イギリスで海軍軍縮会議
・1935年、第二次エチオピア戦争(1935〜1936)
・1935年、ベルギーでブリュッセル万国博覧会(3回目)開催
・1935年、中国の北京で学生反日運動(一二・九運動)
日本と世界
時の政治
第31代首相・岡田啓介内閣