昭和(戦前)

ベルリン五輪・日独防共協定

 

1936年②(昭和11年)

日本選手団の到着を歓迎する人垣
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日本選手団の入場行進
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次回の冬季五輪は札幌に決定
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日本選手団の到着を歓迎する人垣
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1936年②(昭和11) ベルリン五輪・日独防共協定


1936年(昭和11)は4年に1度のオリンピックの年で、国際連盟からの1933年(昭和8)の脱退で、孤立する日本政府に格好の外交の機会となった。ナチスドイツの人種差別に反対してボイコットをちらつかせたアメリカ・イギリス、さらに中華民国も参加して前回のロサンゼルスオリンピックを大幅に上回る49カ国が参加、8月1日~ 16日までの会期の夏のオリンピックは開会式にアドルフ・ヒトラー首相が開会宣言を行い、初の聖火リレーや第1回のギリシャ大会のマラソン優勝者が招待されるなど、「ヒトラーのオリンピック」第11回オリンピックでは、女子平泳ぎ200メートル競泳で前畑秀子が初の金メダルをとり、男子マラソンでは朝鮮半島出身の孫基禎(ソンギジョン)が金メダル、走り幅跳びで田島選手が銅メダルをとるなど日本選手の大健闘が明るい話題・国威発揚の絶好の機会となった。次回の第12回の開催地は初のアジア開催の「東京オリンピック」と発表され、かたやオリンピック会期中の8月7日に廣田弘毅首相は陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣・大蔵大臣を集めて「五相会議」を開き、軍備拡大を国策とする決定をした。 政府の外務大臣(有田八郎)は在ドイツ日本大使(武者小路公共、小説家の実篤の兄)を通じて、11月にナチス政権下のドイツと「日独防共協定」を締結し、共産インターナショナル(国際コミンテルン)の活動につき相互の情報提供と必要な防衛措置をとることなどを表向きの骨子とした緩やかな連携を結び、さらに参謀本部が派遣した在ドイツ武官(大島浩)とナチ党の外交部長 (リッペンドロップ)との間で秘密の付属協定でソビエトの脅威に対して連携することを約束した。また、日本政府は同様の防共協定をイギリスとの間でも締結し、国際的な孤立から脱却を図ったが、交渉は進展することはなかった。

年表
 
日本と世界
《アメリカ》二・二六事件に抗議
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《独》第11回オリンピック大会・ベルリン大会
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《独》第11回オリンピック・ベルリン大会
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《日・独》ベルリン五輪の日本選手団
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時の政治
 

帝国議会解散(1/21)

第31代首相・岡田啓介内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/31.html

第32代首相・廣田弘毅内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/32.html

第19回衆議院議員総選挙
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廣田弘毅内閣の組閣
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女性史
 
前畑秀子(女子200M平泳ぎ)
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本場ハワイのフラダンスショー
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神前結婚式
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TOPICS
【アジア初のオリンピック開催決定】
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【ヒトラーユーゲント-1936(昭和11)】
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