昭和(戦前)

日中全面戦争・国民精神総動員

 

1937年①(昭和12年)

事件現場の盧溝橋
事件現場の盧溝橋

北京郊外

press to zoom
盧溝橋事件の勃発
盧溝橋事件の勃発

1937.日中全面戦争が始まる

press to zoom
国民精神総動員運動
国民精神総動員運動

1937

press to zoom
事件現場の盧溝橋
事件現場の盧溝橋

北京郊外

press to zoom
1/13
 
テキスト本文

1937年①(昭和12) 日中全面戦争・国民精神総動員


1937(昭和12)1月の第70回帝国議会で政友会の浜田国松が軍部の政治介入を厳しく糾弾、陸軍大臣(寺内寿一)が応戦したことで「腹切り問答」となって、議会は政党と軍部が正面衝突して議会は2日停会の後、挙国一致内閣の廣田弘毅内閣が総辞職する事態となった。再び元老・西園寺公望に御下問が下り、後継内閣に静岡県伊豆に閑居していた宇垣一成元陸軍大臣に組閣の大命が下ったが、1931年(昭和6)の三月事件の国家転覆未遂事件の黒幕で軍部の信任を失った宇垣への首班指名に、陸軍中枢の幕僚という幕僚が一致して反対、「軍部大臣現役武官制」の軍特権から軍部大臣が誰も引き受けない事前工作がなされて宇垣内閣の誕生は流産に終わり、今度は軍中枢の支持を受けた板垣征四郎を陸軍大臣に、傀儡首相に適当とされた陸軍大将の林銑十郎内閣が2月に誕生したが、「なにもせんじゅうろう内閣」と揶揄された林内閣は、3月末に予算成立後に抜き打ちで解散し、「食い逃げ解散」と呼ばれた。4月の選挙後、後継首相には、国民の人気が高かった京都の名門侯爵家の出身で、貴族院議長を務めた京都帝国大学卒の46才の近衛文麿が、第一次近衛内閣を組閣した。組閣1ヵ月後の7月7日夜に「支那駐屯軍」が北平(北京)西南約6キロ郊外の盧溝橋で夜間演習中に中国軍と衝突する事件(盧溝橋事件、中国では「七七事変」)が勃発した。9日の臨時閣議で内閣は事件の不拡大と円満解決を希望する方針を決議したが、軍部は逆に大軍を送り込んで事態を拡大した。7月29日には北平(北京)郊外の通州で「冀東(きとう)防共自治政府」(関東軍が万里の長城を超えて河北省に設立した傀儡政権)の保安隊が反乱を起こして、日本の守備隊・特務機関などを襲撃し、日本人117名、朝鮮人106名が殺害される事件(通州事件)が勃発した。広がる戦火は8月13日には上海に飛び火(第二次上海事変)、その翌日には海軍の航空隊が上海・杭州などを爆撃、翌15日には南京を無差別に空爆した。日本から急遽派遣された「上海派遣軍」(松井石根・司令官)は苦戦し、国内では「挙国一致」「尽忠報国」を掲げて「国民精神総動員運動」が9月から始まった。

年表
 
日本と世界
《日本》戦地に向かう出征列車
press to zoom
《中国》中華民国の国民党政府
press to zoom
中国共産党軍(八路軍)
press to zoom
苦境の中の中国共産党軍
press to zoom
1/1
時の政治
 

第32代首相・廣田弘毅内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/32.html

第33代首相・林銑十郎内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/33.html

帝国議会解散(3/31)

廣田弘毅内閣の組閣
press to zoom
廣田弘毅首相
press to zoom
林銑十郎首相
press to zoom
press to zoom
press to zoom
press to zoom
1/2
女性史
 
バスの女性車掌
press to zoom
千人針のお守り
press to zoom
三重苦のヘレン・ケラー女史の来日
press to zoom
1/1
 
TOPICS
【関門トンネルの貫通】
press to zoom
1/1