昭和(戦後)

GHQ占領下・(戦後統制経済)

 
目次

1949年③(昭和24年)

毛沢東(中央)の右がダライ・ラマ14世
毛沢東(中央)の右がダライ・ラマ14世

チベット

press to zoom
チベット(ラサ・首都)
チベット(ラサ・首都)

press to zoom
満蒙開拓青少年の募集広告
満蒙開拓青少年の募集広告

1938年(昭和13)

press to zoom
毛沢東(中央)の右がダライ・ラマ14世
毛沢東(中央)の右がダライ・ラマ14世

チベット

press to zoom
1/4
 
テキスト本文

【モンゴル・チベット⾃治区・新疆ウイグル⾃治区】1949

第二次大戦中に、日本人が入植したに満蒙から日本軍に奥地に追われた国民党軍(蒋介石軍)が山岳地のチベットに移転したことで、中華民国のチベット干渉が始まった。終戦直前、ドイツとの戦いにほぼ勝利した1945年(昭和20)2月、クリミア半島のヤルタにルーズベルト(米)・チャーチル(英)・スターリン(ソ)が会談し、敗戦後の日本について議論した。ソビエトが日ソ不可侵条約の更新をせず破棄して参戦し、日本の領土である北方四島はソビエトに引き渡し、日本が支配していたモンゴル(蒙古)を2つに分割する密約がなされた。内モンゴルに、8月10日にソビエトとともにモンゴル人民共和国が進出して、反日蜂起が決行されて同胞を開放したが、内モンゴルはやがてソビエトの衛星中立国となり、外モンゴルは中華民国の影響下におかれ、内・外のモンゴルの民族統一されることはなく、後に内モンゴルは、中国国民党の支配するところとなり、それに対し人民の不満は1947年(昭和22)4月に爆発したが鎮圧され、その後、1949年(昭和24)に
中華人民共和国が成立し、人民解放軍は、内モンゴルのオルドスを占領し、中国国民党

(中華民国)から中華人民共和国の自治権を得て、支配されるところとなった。1751年にダライ・ラマ7世が清朝の支配強化策を受け入れて清朝の保護国となって以来、ダライ・ラマを頂点にしたチベット仏教の国としてありつづけ、ダライ・ラマ14世が1940年(昭和15)に最高位のラマを継承した。また1933年(昭和8)にバンチェン・ラマ9世が没し、1949年(昭和24)6月に支配していた中華民国が、バンチェン・ラマ9世の転生者として10世を活き仏として認め、チベットにダライ・ラマ14世とバンチェン・ラマ10世の二人のラマ(高僧)が誕生することとなった。(1959年に弾圧を受けたダライ・ラマ14世がインドに亡命し、1989年(平成元)に非暴力によるチベット解放の提唱者としてノーベル平和賞を受賞)

年表

 
日本と世界
1/0
時の政治
 

第47代首相・第2次吉田茂内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/47.html

昭和24年1月24日  第24回総選挙実施

昭和24年2月16日  第3次吉田茂内閣が組閣

​第48代首相・第2次吉田茂内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/48.html

1/0
女性史
 
1/0
 
TOPICS
1/0