昭和(戦後)

講和条約・安保条約の調印

 

1951年①(昭和26年)

雑誌の講和特集号
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講和日本
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1951年①(昭和26)講和条約・安保条約の調印


1949年(昭和24)10月1日に中国、10月7日には東ドイツが誕生するに及んで連合国の中心のアメリカは、日本政府の最大懸案事項の講和問題に関し「検討中」とした。同年のソビエト連邦の核実験の成功を見て、日本国内では最初に東側諸国を除外して西側諸国と平和条約を締結する「片面講和」を主張する与党と全ての国と一括で平和条約を締結する「全面講和」を主張する野党の攻防が始まった。「講和日程の遅れ」という追い風を背景に、翌1950年(昭和25)4月25日、 第3次吉田内閣の蔵相・池田勇人が首相側近の白洲次郎らと共に、税制問題交渉のため渡米(池田ミッション) してジョセフ・ドッジと面談し、「講和後も米軍駐留」 を日本から提案する旨を伝えた。同月に新任された講和担当のダレス国務長官が6月に初来日、10月から 日本側は目黒の外務省官邸に有識者と旧軍関係者の2グループを別々に集めて吉田首相の検討会合が開始し た。アメリカ政府内でも日本の再軍備に「反対する国防総省」と「賛成する国務省」の軋轢が生じる中、1951 年(昭和26)1月、アメリカのダレス国務長官が特使として再度来日、吉田・ダレス会談でダレス特使は吉田 首相に日本の再軍備を要求、吉田茂は経済復興の達成にはアメリカの援助はなお必要と考え、最小限の防衛努力と引き換えに対日援助を引き出すのが得策と応じ、翌2月にGHQの対日政策は大転換され、復興途上の日本の早期自立を促す復興9原則が発表された。ところがダレス来日中の6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、米政府はソ連・中国の戦勝国の対日賠償金の請求や日本領土を割譲しての分割統治論の台頭が新たな紛争の火種となる事態を懸念し、日本を西側国の資本主義国陣営に取り込むことを考え、吉田首相に戦争賠償請求のない寛大な講和条件を提示した。7月にGHQは公職から共産主義者を放逐する「レッドパージ」を指令し、8月に日本に警察組織の別組織の名目で「警察予備隊」が発足した。9月にトルーマン大統領 は、対日講和条約と日米安保条約の締結の意思を明確にして予備交渉の開始を声明した。11月には米政府の賠償金の請求権の放棄と日本防衛を骨子とする「対日講和七原則」を公表した。開始された対日講和条約 の締結交渉には国連加盟国49カ国が参加したが、早急な講和にソビエト・中華民国(国府、台湾)が反対し、朝鮮戦争中の韓国は、交戦国ではなかったと対日講和には局外に置かれた。朝鮮戦争が東西冷戦の代理戦争の様 相を呈する中、1951年(昭和26)9月4日、米国西海岸のサンフランシスコのオペラハウスを会場にサンフランシスコ講和会議が幕を開き、当初は不参加表明していたソ連と東欧諸国も加わった会議では東西両陣営が激しく衝突したが、最終的には参加52か国中49か国が、9月8 日に平和条約に調印して条約は成立した。翌1952年 (昭和27)4月28日に講和条約が発効して日本の主権が7年ぶりに回復することとなった。一方、講和条約の調印の同日、吉田茂首相は「日米安全保障条約」(旧日米安保条約)の調印のため、その足でサンフランシスコ郊外プレシディオにある米国陸軍基地に向かい、条約署名に先立って、米国側全権(アチソン国務長官)が 日米安保条約によって太平洋の安全保障の第一歩が踏み出されると述べ、続いて吉田首相がこの条約は非武装・無防備の日本の安全を保障するものであるとの趣旨の挨拶、署名には米国側が講和条約と同じ4名が署名し、日本側は吉田茂首相が単独で署名した。この年の10月に日本社会のその後の変化をみた読売新聞が 「逆コース」の連載記事を掲載し、「逆コース」という言葉が流行語となった。

年表

【講和年表-1947年~1952年】


1947年(昭和22)

・3月 マッカーサーが早期講和構想を提唱

     (ソ連反対で頓挫)


1948年(昭和23)

    冷戦が始まり、講和問題が膠着状態


1949年(昭和24)

・9月 ロンドンの米英外相会談にて対日講和促進で合意


1950年(昭和25)

・6月 講和担当のダレス国務長官が来日

    ダレス来日中に朝鮮戦争が勃発 講和実現が加速

・7月 政府が朝鮮戦争で米軍に協力方針

    レッドパージ

・8月 警察予備隊令が公布

・9月 トルーマン大統領 対日講和予備交渉の開始声明

・11月 米国務省「対日講和七原則」公表


1951年(昭和26)

・1月 マッカーサーが日米講和・日本再軍備を提言

・4月 マッカーサー司令長官解任

・6月 日本がユネスコに加盟

・9月 対日講和条約・日米安保条約に調印


1952年(昭和27)

・2月 日米行政協定に署名

・4月 対日講和条約・日米安保条約が発効

 
日本と世界
《中国(台湾)》国府軍のパレード
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《朝鮮半島》朝鮮戦争
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時の政治
 

​第48代首相・第3次吉田茂内閣(s24/2~s27/10)

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/49.html

昭和26年7月4日吉田内閣改造

昭和26年10月 社会党が右派・左派に分裂  

昭和26年12月26日 ​吉田内閣改造

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