
昭和(戦後)
独立回復と海上警備隊・保安隊の発足
1952年(昭和27年)
1951.講和会議
1951.サンフランシスコ
1952・血のメーデー事件
1951.講和会議
テキスト本文
1952年①(昭和27)独立回復と海上警備隊・保安隊の発足
1951年(昭和26)9月8日、サンフランシスコ講和条約(平和条約)と日米安全保障条約(旧安保条約)の双方が調印され、アメリカ国の占領下にあった日本国の主権は、翌1952年(昭和27)4月28日をもって回復した。独立国家としての地位を回復すると同時に、アメリカに対し、陸海空軍を日本国内とその付近に置く権利が認められ、進駐軍は駐留軍と名を変えて日本にとどまることとなった。調印4カ月後の1952年(昭和27)1 月から返還記念式典(5月)における「昭和天皇のお言葉」の草案作りが本格化、天皇は初代宮内庁長官に「反省」の文字を挿入したいと1月11日に述べられ、さらに2月20日には、かつて軍・政府・国民に下克上の風潮が蔓延し、軍部の専横を止められなかったことを後悔され、再び繰り返したくないとも述べられて、「反省」の二文字と「象徴天皇」としてのありかたの間で苦悩されることとなった。2月28日には安保条約第 3条を根拠に国会の承認なしに米軍に基地提供ができるという米軍に有利な駐留条件を定めた「日米行政協定」並びにそれをうけた「日米地位協定」が調印された。沖縄県は日本領土から離れ、4月に琉球中央政府 が発足し、青森県の三沢飛行場は三沢基地、旧海軍の横須賀港は横須賀基地、東京郊外の旧陸軍の立川飛行場は立川基地、同付属地の通称が福生(ふっさ)飛行場の旧陸軍多摩飛行場は横田基地、石川県の小松飛行場は米軍の海軍補助飛行場の小松基地、山口県の旧海軍飛行場で英国軍・豪州軍が進駐していた岩国飛行場は岩国基地となることとなった。5月1日のメーデーは皇居前広場でデモ隊と警察隊が激しく衝突し、「血のメーデー事件」と呼ばれた。5月3日に独立回復の記念式典が開催され、昭和天皇のお言葉の中にあるはずの「反省」「悔恨」 の文字は、宮内庁長官に意見を求められた吉田首相の反対で削除されていた。サンフランシスコ講和条約の発効により、GHQは廃止され、米国本土に合わせて 時計の針を1時間進めるサマータイムも終了した。一 方、条約の規定(第13条)に基づき「日米民間航空協定」 が8月に署名され、路線権や以遠権などに不均衡な条件ながら日本の空に民間航空機が飛べる時代が再び到来した。4月には海上警備隊が発足、7月に保安庁法が公布され、警察予備隊から改組された保安隊が10月に新発足したことで、日本政府は「憲法9条問題」「基地問題」「沖縄問題」「講和不参加国との講和問題』という4つの難題を抱えこむこととなった。
年表
【1952年(昭和27)年表】
・1月 韓国が李承晩ラインを設定
・2月 日米行政協定に調印
・3月 吉田首相が自衛のための自衛隊は合憲と発言
・4月 沖縄に琉球中央政府が発足 GHQ廃止
海上警備隊発足
講和条約 日米安保条約発効
・5月 「血のメーデー事件」
IMF通貨基金・世界銀行に日本加盟
・7月 破壊活動防止法・公安調査庁法の成立
・10月 保安隊が新発足
天皇・皇后が靖國神社に参拝
《世界の動き》
・1952年、西欧6か国がEDC条約に加盟
・1952年、エジプトで政変
・1952年、第1回世界著作権会議
・1952年、アメリカが水爆実験成功
日本と世界
時の政治
第49代首相・第3次吉田茂内閣(s24/2~s27/10)
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/49.html
昭和27年1月 NHKが衆議院本会議を初中継
昭和27年3月6日 吉田茂首相が自衛のための自衛隊は合憲と発言
昭和27年4月26日 海上警備隊が発足
昭和27年4月28日 講和条約 日米安保条約発効 GHQ廃止
昭和27年7月21日 破防法・公安調査庁が発足
昭和27年7月31日 保安庁法改組 (保安隊が10月15日発足)
昭和27年10月30日 第4次吉田茂内閣が組閣
第50代首相・第4次吉田茂内閣(s27/10~s28/5)
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/50.html
昭和27年11月27日 池田勇人通産大臣の失言
昭和27年11月29日 池田勇人通産大臣が辞任