平成

日ロ交渉~東京宣言~

 
目次

1993年③(平成5年)

第一回の「北方領土の日」全国集会
第一回の「北方領土の日」全国集会

1981年(昭和56年)2月7日

press to zoom
東京宣言の調印(エリツィン大統領・細川首相)
東京宣言の調印(エリツィン大統領・細川首相)

press to zoom
プーチン大統領と安倍首相
プーチン大統領と安倍首相

press to zoom
第一回の「北方領土の日」全国集会
第一回の「北方領土の日」全国集会

1981年(昭和56年)2月7日

press to zoom
1/4
 
テキスト本文

1993年③(平成5) 日ロ交渉 〜東京宣言〜


日本と国境を接するロシアとの領土問題の歴史は古く、1854年(安政1)の日露通好条約第2条により、千島列島の択捉(えとろふ)島と得撫(うるっぷ)島の間とされたが、樺太島(今のロシア・サハリン州)については「是迄仕来之通(これまでしきたりとおり)」と し、国境についてはあいまいだった。その後もたびたび国境談義があったが1867年(慶応3)3月、ぺテルブルグ(今のサンクトペテルブルグ)で「樺太島仮規則」が調印され、樺太島は日露双方の領土とすることが確認され、自由往来の地と約された。明治維新を迎え、 明治政府の成立で「国」の意味が、従来の伊勢国、薩摩国などから他国に対し主権を持つ「日本国」を意味する国家意識が芽生え、その結果、ロシアとの領土紛争が頻発した。1875年(明治8)5月にロシアの首都で調印された千島樺太交換条約により、樺太島(サハリン州)と千島列島を交換する形で領土問題を解決し、得撫島以北の千島列島は日本の領土(この時点で固有の領土)となった。 第二次大戦中の1943年(昭和18)10月末に米・英・ソ の「モスクワ会議」でスターリンは、ドイツ戦終了と 同時に中立条約を結ぶ日本と戦争することを米の国務長官(ハル)に打ち明けた。その後の米・英・中の「カイロ会談」で日本の無条件降伏をめざす(カイロ宣言)とした後の11月末、イランのテヘランで再び米・英・ ソの「テヘラン会談」でローズベルト(米)チャーチル(英)が翌年5月までに欧州戦線で大規模作戦(6月のノルマンディー作戦)の約束、スターリンの対日参戦の約束を行った。翌1944年(昭和19)12月、スターリンがアメリカ大使(ハリマン)に南樺太と千島列島を見返りに要求、1945年(昭和20)2月に米・英・ソの首脳がソ連領クリミア半島のヤルタで「ヤルタ会談」を行い、ドイツ降伏の3カ月後に対日参戦し、日本降伏後にかねての要求(南樺太と千島列島の領有)を密約した(極東密約)。4月にソビエトが日ソ中立条約の期限(1946年4月25日)の不延長を一方的に通告した(ロシアのいう条約破棄通告)。8月9日、アメリカが長崎に原爆を投下、ソビエト軍が日本人の入植する満蒙国境に攻め込 み、ソビエトの対日参戦で「万事休す」となり、当日に 統帥権を持つ天皇が出席の御前会議が開催され、日本の無条件降伏が決せられた。その6日後の8月15日(終戦記念日)にレコードに録音された玉音放送が国民に向けて放送された。翌8月16日に南樺太(日露戦争で日本領に)に侵攻し、18日には千島列島に侵攻を開始、 8月28日から9月1日(日本の降伏文書に調印の前日)にかけて択捉島・国後島・色丹島を占領した。9月2日は ミズーリ協定に調印のため、マッカーサーが来日した当日で、9月3日から5日にかけ歯舞群島のソビエト軍占領が終了した。1946年(昭和21)1月29日、GHQ 指令で千島はソビエト領土、残る4つの島の日本の行政権は停止され、2月11日にヤルタ会談時の極東密約 が公開された。1951年(昭26)のサンフランシスコ 講和条約で南樺太・千島列島が放棄されたがソビエトは不参加だった。その後、1956年(昭和31)に日ソ国交正常化の日ソ交渉で、4つの島の帰属について領土問題が発祥したため、領土問題を棚上げ(アデナウアー方式)し、平和条約締結後に4つの島のうち、歯舞島・色丹島を日本に引き渡すとされた。その後は冷戦並びに日米同盟が障害となり、日ロ交渉は停滞した。ところが、1989年(平成元)にベルリンの壁が崩壊、1991年(平成3)にソビエト連邦が解体、大統領制を採用したロシア連邦が誕生すると、障害のうちの1つが消滅、1993 年(平成5)10月、細川護熙首相とエリツィン大統領が東京で会談し、日ロ共同文書で北方四島の島名を列挙して、「領土問題を解決した上で平和条約を早期に締結する」とした(東京宣言)。従来は平和条約が先であった領土問題の解決は、今度は領土問題の解決が先との表現に置き換えられることとなった。

年表

【日ロ交渉(1956年~2003年】


・1956年 日ソ共同宣言

(平和条約締結後に2島返還)

・1960年 ソビエトの通告(二島返還は在日米軍の日本

      撤退が条件)

・1991年 日ソ共同声明(冷戦後初、初めて文書で

     領土問題を確認)

・1992年 ロシア外相来日、非公式会談(日本側の

      四島一括返還の要求でキャンセル)

・1993年 東京宣言(領土問題解決のための交渉指針示す)

・1997年 クラスノヤルスク合意(2000年までに平和条約

      の締結を全力で)

・1998年 モスクワ宣言(国境画定方式を採用、施政権

      を当面ロシアに残す案提唱)

・1998年 川奈合意(東京宣言に基づき交渉、四島一括

      返還から2島先行返還へ)

・2001年 イルクーツク声明(日ソ共同宣言が原点で

      あることを確認)

・2003年 日露行動計画(過去の交渉経緯を踏まえ交渉

     を加速)

 
日本と世界
《イスラエル・PLO》オスロ合意
press to zoom
1/1
時の政治
 
press to zoom
細川護熙首相
press to zoom
細川護熙内閣
press to zoom
1/1
女性史
 
press to zoom
カナダ初の女性首相の誕生
press to zoom
トルコ初の女性首相の誕生
press to zoom
1/1
 
TOPICS
二人目のノーベル文学賞受賞
press to zoom
「福岡ドーム」のオープン
press to zoom
1/1