
平成
南アフリカのアパルトヘイトの廃止
1994年②(平成6年)
1990年の来日時
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1994年②(平成6) 南アフリカのアパルトヘイトの廃止
南アフリカは金・ダイヤモンドを算出する資源国で、その豊かな富を求めて西洋人(オランダ人・イギリス人)がその地を植民地とし、現地人の黒人は鉱山労働者として白人に使役され、厳しい人種差別を受けていた。人種隔離政策のアパルトヘイトは、1961年(昭和36)から実施され、アパルトヘイトに抵抗する政党組織(アフリカ民族会議、ANC )の中心メンバーで弁護士のネルソン・マンデラ(1918~2013)は、3年後の1964年(昭和39)に国家反逆罪で逮捕され、終身刑で投獄されることとなった。南ア国内では、アパルトヘイトに抵抗する暴動が頻発し、1986年(昭和61)には全土に非常事態宣言が出され、イギリス・EC諸国(後のEU諸国)・アメリカとともに日本も経済制裁を実施したが、事態は沈静化せず、大規模なストライキが継続された。1989年(平成元)に、当時のボタ大統領は辞任し、デクラーク大統領のもとでアバルトヘイトの廃止がようやく決定した。その翌年1990年(平成2)2月11日、黒人解放運動の指導者のネルソン・マンデラが28年ぶりに釈放され、その当日の首都ケープタウン市役所前には20万人の支持者が集まった。そして1991年(平成3)に南アのアパルトヘイト関係の法律は全廃され、長らく続いた悪制度は、武力闘争の放棄を宣言し、この改革も平和裏に進展、それに対応して国際社会の経済制裁緩和の動きが本格化、デクラーク大統領は1991年(平成 3)にアパルトヘイトの終結宣言を行い、翌1992年(平 成4)4月の議会選挙で、黒人政党ANCが勝利し、ネルソン・マンデラが大統領(任期は1992〜1999)に選出され、マンデラは白人黒人の協調を重視して南アフリカの新しい基礎を築いたことで1993年(平成5)にノーベル平和賞を受賞した。
年表
【1994年(平成6)年表】
・2月 女性初の最高裁判事が誕生
・3月 衆院の「小選挙区比例代表並立制」導入法案可決
・4月 高等学校での「家庭科」の男女必修実施
・5月 女子学生の就職問題に関する閣僚会合
・6月 1ドル100円割れ
村山内閣が組閣
総理府に男女共同参画室を設置
・7月 向井千秋がスペースシャトル・コンビアに
搭乗、初宇宙行飛行
「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」公表
・9月 消費税の翌年4月から5%へ引き上げ決定
関西新空港が開港
・10月 第1回東アジア女性フォーラム
ノーベル文学賞(大江健三郎)
・11月 年金改革関連法が成立
・12月 政府が「エンゼルプラン」(子育て支援のた めの施策目標)を策定
《世界の動き》
・1994年、米・カナダ・メキシコのNAFTA(北米自由貿易
協定)発効(1月)
・1994年、ノルウェーでリレハンメル冬季五輪(2月)
・1994年、ココム解体(4月)
・1994年、NATO軍がボスニア紛争で初空爆(4月)
・1994年、英仏間の「ユーロ・トンネル」開通(5月)
・1994年、北朝鮮が、IAEAから脱退を発表(6月)
・1994年、中国地下核実験を実施(6月・10月)
・1994年、北朝鮮金日成が死去(7月)
・1994年、ナポリサミット(7月)
・1994年、中国で「愛国主義教育実施要綱」発布(8月)
・1994年、アメリカ政府、新台湾政策で経済関係強化等を発表
中国がアメリカを非難(9月)
・1994年、香港で新政党「民主党」が結成(10月)
・1994年、核問題で米朝枠組合意(10月)
・1994年、中国の小売物価上昇率は21.7%の高率に