平成

ルワンダ難民と自衛隊のPKO派遣

 
目次

1994年③(平成6年)

ドイツの植民地政策(1880年代)
ドイツの植民地政策(1880年代)

英仏に遅れてアフリカ植民地に触手を伸ばすドイツの植民地政策を揶揄した漫画(おとなしいキリンをてなずけ、ワニには口輪)

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被害者の骸骨
被害者の骸骨

ニヤマタ虐殺記念館

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難民キャンプの黒柳徹子さん(ユニセフ親善大使)
難民キャンプの黒柳徹子さん(ユニセフ親善大使)

1994年・ザイール

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ドイツの植民地政策(1880年代)
ドイツの植民地政策(1880年代)

英仏に遅れてアフリカ植民地に触手を伸ばすドイツの植民地政策を揶揄した漫画(おとなしいキリンをてなずけ、ワニには口輪)

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テキスト本文

1994年③(平成6) ルワンダ虐殺と自衛隊のPKO派遣


19世紀にアフリカは欧州列強により、競って植民地化(アフリカ分割)され、アフリカ中部のルワンダと南隣のブルンジがドイツにより領有され、ルワンダ隣国のタンザニアの一部とともにドイツ領東アフリカ植民地となった。第一次世界大戦が始まると、当時コンゴを領有していたベルギーが占領し、ドイツの敗戦で両国はベルギーの委任統治領となった。戦後はベルギーの信託統治領であったが、長年にわたり、牧畜民族で少数部族のツチ族が、多数部族の農耕部族だったフツ族を支配する社会構造に1959年(昭和34)にフツ族の不満が爆発し、支配していたツチ族を多数殺害する事件があり、2年後に住民投票があり、王政は廃止され、その翌年(1962年)にベルギーから独立して「ルワンダ共和国」が建国された。その間に多数派のツチ族が難民となって周辺国に逃れ、1980年(昭和55)頃 に多数派のツチ系難民は団結・組織され、長期にわたるツチ族・フツ族の部族対立が再燃した。1994年(平成6)4月にルワンダの大統領が搭乗する航空機がテロで撃墜される事件が発生した。実行犯が不明の中、少数派フツ族の実業家(フェリシアン・ガブガ、2020年に逮捕)は、フツ族の民兵組織に多額の戦費を提供し、また、ラジオ局を創設してツチ族の虐殺を扇動し、その結果、フツ族(少数民族)が多数派のツチ族やフツ族穏健派などを虐殺(ジェノサイド)し、50万人とも100万人ともいわれる人々が殺害された。歴史的な虐殺事件で隣国のザイール(当時、今のコンゴ民主共和国)やタンザニアに膨大なルワンダ難民が押し寄せる事態に発展した。国連難民高等弁務官(8代、緒方貞子)から人道的協力要請を受けた日本政府は、9月から12月にかけて自衛隊のPKO難民救援隊を派遣することとなった。

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