
平成
阪神淡路大震災・オウム真理教事件
1995年①(平成7年)
1995.オウム真理教の犯罪事件
1995
1995
テキスト本文
1995年①(平成7) 阪神淡路大震災・オウム真理教事件
1995年(平成7)1月17日まだ夜の明けやらない午前5時46分に兵庫県の淡路島を震源とする大地震が発生した。神戸市などでM7.2(最大震度は7)の大地震は20秒近くの大きな揺れが襲い、神戸気象台の地震計測器が激震で壊れる程の大地震で、約10万5000棟の家屋が全壊、死者は6434人、被害総額は10兆円近くに上った。関西地方では過去の大地震は稀だったこともあり、政府の初動は遅れた。被災地ではまだ余震が続く3月に、今度は首都東京の官庁街・霞が関周辺を狙ったカルト宗教のオウム真理教が、地下鉄車両内に猛毒のサリンを発生させ、12人の死者、5500人を超す重軽傷者を出した事件(地下鉄サリン事件)が起こった。オウム真理教は、富士山を望む山梨県上九一色村 (当時、かみくいしきむら)に「サティアン」と呼ばれる教団の主要施設を構え、親族から連絡を絶ち切った若い信者が尊師とあがめる麻原彰晃(しょうこう)やその取り巻きの偽りの教義を信奉していた。前年6月には長野県松本市で猛毒のサリンを撒き、7人が死亡、約60人が入院し、 事件の第一発見者が冤罪報道で疑われた「松本サリン事件」を起こしていた。サリンを製造するサティアン に対し警察庁の強制捜査が行われたが、その3月末には、警察庁長官が銃撃される事件も発生し、1995年(平成7)は、今までにない悲惨な年となったが、また、震災後1年間で全国から約138万人のボランティアが被災地に駆けつけて「ボランティア元年」と呼ばれるようになった年でもあった。この年、官庁街の霞が関を襲撃された政府は、危機管理体制を強化し、翌1996年 (平成8)には首相官邸に24時間体制で災害・緊急情報等の情報収集を行い、緊急時の初動対応を行う「危機管理センター」が開設されることとなり、また、オウム関連の一連の事件資料は「刑事参考記録」として永年保存(アーカイブ)されることとなった。
年表
【1995年(平成7)年表】
・1月 阪神淡路大震災
・3月 地下鉄サリン事件が発生
住民票の続柄が「子」に統一される
・4月 東京外為市場で1ドルが79.75円(史上最高値)
・5月 「世界都市博覧会」(東京都・主催)が中止
・7月「女性のためのアジア平和国民基金」発足
参議院議員選挙で女性21人当選
・8月 村山改造内閣が発足
戦後50年の「村山談話」でお詫び
・9月 第4回世界女性会議で「北京宣言
及び行動綱領 (ジェンダー平等)採択
・10月「改正育児休業法」が施行
(介護休業制度の法制化 )
・12月 「白川郷・五箇山の合掌造り集落」が世界遺産
《世界の動き》
・1995年、GATTが発展解消してWTOとなる(1月)
・1995年、フランスにシラク大統領が当選(5月)
・1995年、カナダでハリファックスサミット(6月)
・1995年、アウンサン・スーチーが6年ぶり解放(7月)
・1995年、ベトナムがASEANに加盟(7月)
・1995年、韓国の最高検、盧前大統領を収賄で逮捕(11月)
・1995年、韓国全元大統領、クーデター首謀で逮捕(11月)