平成

金融ビッグバン~勝ち組・負け組~

 
目次

1996年②(平成8年)

金融ビッグバンの仕掛人
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首相

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金融ビッグバンの仕掛人
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1996年②(平成8) 金融ビッグバン ~勝ち組・負け組~


1995年(平成7)9月に2年の任期で野党・自民党総裁となった橋本龍太郎は、住専処理法案が国会に提出された直後に辞職した村山富市首相の後任として1996年(平成8)1月に首相となった。8月に初の小選挙区制比例代表並立制の第41回衆議院総選挙が実施され、「行政改革」を掲げた自民党が勝利し、11月に自民党の単独政権で第2次橋本龍太郎内閣が誕生した。橋本首相は、最大の政治課題「行政改革」に自ら陣頭指揮に立ち、行政改革会議が新発足した。首相は大蔵大臣並びに法務大臣に対して、日本の金融システム改革を検討すべきことを指示した(ビッグバン総理指示)。それに従い、大蔵省(今の財務省)内の証券取引・会計制度・金融システム・保険・外国為替の各審議会に、戦後に長く続いた「護送船団方式」と呼ばれた金融行政をやめ、5年後(2001)までに金融システム改革を断行するプランを要請した。先に1986年(昭和61) 10月に開始のサッチャー首相が英国病と呼ばれたシティ(ロンドン金融界)の大改革に成功した元祖ビッグバンを追う形で、東京をニューヨーク、ロンドンに並ぶ金融市場として再活性化させる「日本版金融ビックバン(包括的金融自由化)」構想がスタートした。また、12月には2005年を期限に財政赤字をGDPの3%以下にする「財政健全化目標」も閣議決定された。翌1997 年(平成9)6月に大蔵省が詳細な「金融システム改革計画」(金融ビッグバンプラン)を公表、1998年(平成10)4月の為替管理の規制緩和に始まり2001年に終了するという 「フリー(自由化)」「フェア(公正・透明)」「グローバル (国際標準)」の目標を掲げ、金融不安の株安の中、銀行界に大競争を促す金融ビッグバンの号砲が鳴ると、銀行株のパニック売りは恒常化し、不良債権が少ない株価が1000円以上と高い銀行と不良債権比率が高く株価が100円未満の銀行に二極分化することとなり、前者は「勝ち組」、後者は 「負け組」と呼ばれ、証券市場から生まれた「勝ち組」「負け組」という言葉は、時代を象徴する言葉として流行語となった。

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