
平成
東日本大震災・原発事故の複合災害
2011年①(平成23年)
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2011年①(平成23) 東日本大震災・原発事故の複合災害
2011年(平成23)3月11日の午後2時46分、太平洋の三陸沖(宮城県沖)を震源とするM9.0の大地震(東日本大震災)が発生した。震災直後に10M以上の巨大津波が東北地方を中心とする東日本沿岸に押し寄せて震災被害を悲惨なものとした。震災被害は岩手県・宮城県・福島県をはじめ死者は合計12都道府県に及び、1万5897人、そのうち2534人が行方不明のままとなった。遠く離れた首都圏では交通機関がマヒし、多くの人が帰宅困難となった。震災翌日の12日には、想定外の津波に襲われた東京電力の福島第一原発が原子炉を冷却する全電源を失ったことで、炉心溶融(メルトダウン)と水素爆発で建屋が崩壊、大量の放射性物質が広範に拡散し、半径20キロ以内の住民に対して避難指示がだされた。その2日後には3号機も水素爆発を起こし、その2日後には予断を許さない状況が続く中、国は「レベル7」(深刻な事故)の最悪の原子力発電所事故と発表し、震災と原発事故の前例のない複合災害は、4月22日に半径20キロ以内の「避難指示」が「立ち入り禁止」となり、20キロ圏外の5市町村が「計画的避難区域」として退去要請地域となった。東日本大震災は、日本の原子力政策に多大な影響を及ぼし、3月には1都8県で「計画停電」が実施され、国内の原子力発電所は次々と稼働停止となり、12月には原発事故の原因調査のため、国会に調査委員会(国会事故調)が設置され、翌年7月に調査報告書には、規制する側の政府機関が規制される側の勢力に実質的に支配される状況を意味する「規制の虜(とりこ)」の文字が書かれており、原発事故が人災であった事実が記されていた。翌2012年(平成24)5月には福島県外に約6万人、県内各所に約10万人が避難を余儀なくされ、かつては低価格の「クリーンエネルギー」という原発イメージは「安全神話」とともに過去のものとなってしまった。
年表
《原発事故の参考年表-1979年~2011年》
1979年 3月 スリーマイル島原発事故(米)
1986年 4月 チェルノブイリ原発事故(ソ)
2002年 8月 東京電力が原発のトラブル記録隠し
2007年 7月 新潟県中越沖地震で原発火災
2011年 3月 東日本大震災でメルトダウン
《世界の動き》
・2011年、チュニジアの「ジャスミン革命」(1月)
エジプトなどアラブ世界に波及
・2011年、ブラジル初の女性大統領(ルセーフ)就任(1月)
・2011年、日本政府、人民日報に支援感謝メッセージ(4月)
・2011年、初の「国連国際寡婦デー」(6月)
・2011年、中台間の個人旅行が解禁(6月)
・2011年、IMF)の専務理事に初の女性のラガルド就任(6月)
・2011年、高速鉄道脱線転落事故発生(7月)
・2011年、中国のハイアールが三洋電機白物家電部門買収(7月)
・2011年、タイ初の女性首相にインラック首相就任(8月)
・2011年、サウジアラビア、2015年の地方議会選挙から女性
参政権を認めると発表(9月)
・2011年、デンマーク初の女性首相が就任(10月)
・2011年、北朝鮮で金正日総書記が死亡(12月)