
平成
テロ組織IS・ウクライナ問題
2014年①(平成26年)
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2014年①(平成26) テロ組織IS・ウクライナ東部紛争
サウジアラビアの資産家の一族に生まれたウサマ・ビン・ラディンは、 1988年(昭和63)にイスラム系国際テロ組織「アルカイダ」を設立しその司令官となった。1990年(平成2) の湾岸戦争で、アメリカ軍がサウジアラビアの地に足を踏み入れ、サウジアラビアを拠点にイラク攻撃したことに「アラブの地を汚した」と憤慨して反米に強く傾き、その報復として2001年(平成13)9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を首謀した。その直後の10 月には、アメリカ軍は、アフガニスタンのイスラム原理主義組織「タリバン」がウサマ・ビン・ラディンをかくまっているとして、アフガニスタンを空爆し、さらに首都カブールを制圧し、暫定政権が樹立された。2004年(平成 16)に、「アルカイダ」はイラクで日本人青年を人質にし、自衛隊のPKO部隊の撤退を要求したが拒否されたため人質を殺害、インターネット配信で世界に向けて報道した。2011年(平成23)5月に、10年ごしの大捜索により、アメリカ軍はパキスタンの首都近郊にいることを発見し、殺害したことで、2001年(平成13)以来続いたアメリカの対テロ戦争は一つの節目を迎えることとなった。その翌年の2012年(平成24) には、アルカイダ系スンニ派武装組織「イラク・イスラム国(ISI)」が設立され、さらにその2年後の2014年 (平成26)6月にISIを前身とする「アルカイダ」の下部組織としてテロ組織「IS」(イスラム国)が、シリア国内のラッカを首都に、カリフ制国家(イスラム教の預言者ムハンマドの代理人が統治する国家)を主張して建国宣言した。スンニ派イスラム教徒が多いマレーシア・インドネシアからも多くの若者がシリア・イラクに渡り、インターネットなどのネットワークを用いて兵士を募り、石油生産の接収・密輸・支配地域での徴税・身代金要求などでイラクとシリア にまたがる広大な土地を武力で領土を広げ、それまでイラク国内でのテロ活動だったものが、一気に世界中に拡散、「反米」が「反欧米社会」に進化し、さらには 「イスラム世界」VS「欧米キリスト教世界」に転化することとなった。アメリカ主導の有志連合軍の攻撃にもかかわらず、2015年(平成27)5月までにシリア領の過半を制圧したが、シリアを支援するロシアと、アメリカ主導の有志連合軍がともにシリア国内で空爆を続け、シリア国内の内乱と「IS」攻撃の混乱で、大量のシリア難民が欧州に押し寄せることとなった。
2014年-④ ロシアとウクライナ
1989年の「ベルリンの壁崩壊」により、民主化の大津波がソビエト連邦に押し寄せ、1991年にキエフ大公国(9世紀後半〜13世紀半ば)に淵源をもつ東スラブ民族(ロシア人・ウクライナ人)のロシア(現・ベラルーシ)、ウクライナ(首都はキエフ)の3つのソビエト連邦社会主義共和国の首脳が『ソ連消滅』を宣言し、その結果、ロシア連邦(ロシア)・ベラルーシ・ウクライナが誕生した。様々な民族集団がモザイク状に入り組んで暮らしていた旧ソ連圏での民族意識の高まりから、圏内15カ国が独立を果たし、ソビエト連邦にかわる緩やかな独立国家共同体(CIS)を結成する協定に調印した結果、新たに生じた突然の国境変更により、少数派民族は引き裂かれる中、ロシア連邦の国旗はベラルーシ人(白)、ウクライナ人(青)、ロシア人(赤)を示す初代ロシア皇帝(ピョートル大帝)時代の三色国旗に戻った。旧ソ連圏の国々は「市場経済」の洗礼を受けることとなり、以降、10年に及ぶ混迷の時代を迎え、1994年12月にはチェチェン共和国の混乱(チェチェン紛争)にロシアが武力介入、そのニュースは、世界中に報道されたが、すでにロシアは衰退し、独立した共和国も市場改革の失敗からハイパーインフレに襲われ、ロシア国民の中に「ソビエト連邦への郷愁」も生まれていた。ロシアの初代大統領エリツィンの後継に2000年に「強いロシア」を掲げるKGB出身のウラジミール・プーチンが就任、経済困窮の活路を勃興する中国に求め、国境紛争を棚上げして中国・中央アジア諸国と2001年6月に「上海協力機構」を発足させ、7月には「中ロ善隣友好協力条約」に調印し、中国・ロシアの蜜月時代が始まった。ウクライナでは豊富な天然資源(原油・天然ガス)を持つ隣国ロシアの経済支援を受け、国内は「親ロシア派」とEU・アメリカとの結び付きに活路を求める「親欧米派」に分断されることとなった。2003年に旧ソ連南西部のジョージアで親欧米派の抗議運動で政権交代が発生(バラ革命)、翌2004年12月には、ロシアの経済支援に依存する欧州最貧国のウクライナの大統領選挙の不正選挙抗議後の再投票の結果、親欧米派の大統領が誕生した(オレンジ革命)。2つの革命は「カラー革命」と呼ばれ、2005年にロシアの連邦議会で「ソ連の崩壊は20世紀最大の地政学的惨事だ」と2度の世界大戦を上回る悲劇と演説したプーチン大統領は、カラー革命は「ロシア復活をはばむアメリカの陰謀」との思いを深め、ますます軍事力に依存するようになり、2008年8月にはバラ革命後のジョージアに武力介入した。大統領職を腹心メドベーチェフに一時的に譲った後、2012年5月に大統領に復帰した。オレンジ革命10年の2014年の2月、ウクライナの首都キエフで親欧米派の革命が起こり、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領がロシアに亡命する政変(ユーロ・マイダン革命)が発生した。隣国ウクライナの路線転換に翌3月にロシアが介入、ウクライナ南部のクリミア半島の併合を一方的に宣言した。4月にはロシア系住民の多い東部で親ロシア派が武力蜂起、ロシアが軍事支援したことで紛争(ウクライナ東部紛争)は激化、5月の大統領選挙で親欧米派のポロシェンコが当選し、親ロシア派が東部2州を実効支配するウクライナは東西陣営の対立する分断国家となった。親欧米政権を支援する西側国が対露制裁をしたことで紛争は拡大し、7月にはウクライナ東部で親ロシア派のミサイルがマレーシア民間機を誤って撃墜する悲劇も発生した。11月のG20サミットで非難を受けたプーチン大統領は日程を切り上げて早々に帰国したが、翌2015年2月、独仏首脳の働きかけで4国が隣国ベラルーシの首都ミンスクで停戦に合意した(ミンスク合意)。
年表
《世界の動き》
・2014年、ロシアでソチ冬季五輪、羽生結弦が金メダル(2月)
・2014年、プーチン、クリミア半島のロシア編入宣言(3月)
・2014年、WTO、尖閣国有化による中国のレアアースの
輸出規制を協定違反とする(3月)
・2014年、台湾でひまわり運動(3月)
・2014年、オバマ大統領がアフガニスタン駐留米軍を
2016年末までに完全撤退と発表(5月)
・2014年、中国が南シナ海で大規模な石油掘削設備を
導入(5月) ベトナムが抗議(6月)
・2014年、IS(自称・イスラム国)が建国宣言 (6月)
・2014年、ギニアでエボラ出血熱 が発生 (8月)
・2014年、香港で行政長官の選挙を求め「雨傘運動」(9月)
・2014年、中国で「反スパイ法」施行施行(11月)